【読み方】:ヤセンビョウイン

「ヤ戦病院」とは、東京ヤクルトスワローズがまるで病院のように大量の故障選手を抱えていることを表した蔑称である。

2011年以降、ヤクルトの選手には常に故障が絶えなかった。2011年の開幕試合では内野手川島慶三選手がいきなりデッドボールで骨折したこともあり、必ずしもヤクルトの采配が良くないというわけではなかったが、それでもあまりに多くの故障者が出ていた。

2011年9月の時点でヤクルトは貯金17と大幅に勝ち越していたのだが、故障者の多発により中日ドラゴンズに大逆転優勝をされてしまった。

2012年も同様に故障が多発し、その結果としてサンケイスポーツの見出しに「ヤ戦病院」と書かれるまでになってしまったのである。2011年に故障で優勝を逃し、2012年には故障者を減らそうとトレーナーを増やしたにもかかわらず相変わらず故障者が多く、2013年にはWBCオランダ代表にも選ばれたエース4番バレンティンが開幕すぐに故障と、ヤクルトの悲観的な状況にマッチした「ヤ戦病院」は非常に使いやすい言葉となったのである。